この記事では、夫のうつ病と向き合う中で“私が特に辛かった瞬間”と、‟その時の向き合い方・対応”をまとめています。
はじめに。
夫はうつ病になり、現在40代になる夫のうつ病との付き合いは20年以上になります。
私と出会う前の症状は比較的軽いものだったのですが、徐々に症状が悪化し、仕事を休みがちになって休職することになりました。
うつ状態と並行して自律神経失調症や後で記載するアカシジアという副作用の出現にも悩まされながら生活していました。
その時に私が感じた“一番辛かった瞬間”と向き合い方について書いています。
うつ病で働けなくなった時の支援についてまとめているので良かったら読んでみてください↓
症状が浮き彫りになった日
夫の症状は振り返ってみれば20代の頃から出ていたといいます。
ずっと頭痛に悩まされていたのですが寝不足なんだろうとコーヒーやカフェイン入りの栄養ドリンクでごまかしてきました。
30代では頭痛と腹痛(下痢)に悩まされ、毎日のように市販の頭痛薬や整腸剤を飲んで自律神経失調症の症状からか冷や汗、吐き気を伴うことが多くなりました。
内科的なものかもしれないと様々な検査を受けても異常はなく、どことなく精神的なものと薄々わかっていながら認めたくない状態でした。
心療内科を受診する少し前に家の中で下痢や吐き気から始まり過呼吸からうまく酸素が回らないせいか手足の硬直と痙攣でトイレの中で動けなくなり救急車にお世話になることが一か月のうちに何度も続きました。
辛くなった瞬間7選
毎日のように夫の行動や発言に対して悩みましたが、その中でも辛くなった出来事を紹介します。
1.心療内科を受診する前、救急車を呼ぶしかなかった日々
心療内科を受診する前、夫の症状が強く出るたびに私はどうしていいかわかりませんでした。
子どもたちを置いていくわけにもいかず、苦しむ夫のそばを離れることもできず…
結果として、救急車を何度も呼んでしまった時期がありました。
もちろん救急隊の方に申し訳ない気持ちでいっぱい。

本当にこれでいいのかな…
自分を責める日もありました。
それに、夫は病院に着くと病院という安心感のせいか、さっきまでの重い症状が嘘みたいに落ち着いてしまうようで救急隊の方の中で顔見知りになってしまう人もいて「きっと病院につくと落ち着くんだよね?」と言われたこともありました。
「さっきの苦しそうな状態のまま様子をみるしかなかったのかな…」
と考えていました。
💡この時の向き合い方と対応
症状が出た時に何度も救急車を呼んでしまって申し訳なさでいっぱいで、同じ救急隊の方に何度か会った時に正直気まずくなりました。
子どもたちを起こさないようにしなきゃと考えながら、夫の状態をみていたのでこの時背中をさすることしかできなかったです。
今となって振り返ると、夫は過呼吸から酸素がうまく取り込めず、手足が硬直してしまう状態でした。
このとき同じような症状や癖が分かっていれば、まずは“呼吸を整えること”を意識し、落ち着いて対応できたのかもしれません。
2.貯金通帳の残高が減っていく恐怖
我が家には、もしもの時のための家族共有の貯金通帳がありました。
けれど夫が休職してからというもの、通帳を開くたびに残高が減っていく現実に胸が締め付けられました。
「目をそらしたい…。」
この先復活してくれなかったらどうなるんだろう…と不安でいっぱいでしたし、私の心の余裕はどんどんなくなっていきました。

見たくない現実…。
💡この時の向き合い方と対応
夫は傷病手当を受け取りながら休職をして、お金がなくなってしまう怖さから焦って転職活動をして体を休めるための休みが休みではなくなってしまっていました。
今も共働きですが、この時の私はただじっと耐えている状況で、正直何もできてなかったと思います。
夫にも何か出来ていたわけではなく落ち着いて呼吸を整えるようにということと、食事・水分補給をするようにしていました。
“病は気から”という言葉は誤解を招くかもしれませんが、心が弱っていても体は整えていた方が回復が早いと感じていました。
あの時もっと助けてくれる支援制度について調べておけば良かったなと思います。
制度についてまとめた記事があるのでそちらを見てみてください↓
3.アカシジアという副作用との闘い
さらに追い打ちをかけたのが、処方薬の副作用で起こるアカシジアでした。
夫は立ち止まることや横になること、ましてや寝ることもできずに家の中を歩き回り目の下は真っ黒で、生気がなく、落ち着く時間が一切ない状態。
その姿を見ているのが本当に苦しかったです。

どうしてこんな状態になるんだろう、もう楽になりたい。
夫がそう言った時、見ているこちらも夫のあまりの辛そうな状態に限界を感じ、通っていた心療内科とは別のところに駆け込みました。
💡この時の向き合い方と対応
どうしていいかわからず、私は3日間、ただ歩き回る夫の姿を見守ることしかできませんでした。
この時は声掛けが何も届いていないような状態にまでなっていたので、さすがにおかしいと思い心療内科を受診をしましたがアカシジアの初期症状が出た時(体のぴくつき、むずむずし始めた時)のもっと早い段階で病院に受診すれば良かったなと思いました。
アカシジアの症状についてまとめた記事があるので参考にしてください↓
4.パニック症状が出る夫との外出が難しく、家族で外出できないもどかしさ
夫にはパニック症状もあり、外に出ようとすると動悸や不安感が急に強くなることがありました。
そのため、最初の頃は家族で出かけることがほとんどできず、私と子ども2人の3人だけのお出かけが続いていました。
公園、買い物、レジャー…周りの家族が当たり前にしているように見える「家族でのお出かけ」が、
私たちにはとても難しいことなんだと痛感し、正直もどかしさでいっぱいでした。

なんでうちは普通にできないんだろう…。
そう思ったことで夫を心の中で責めた日もありました。
💡この時の向き合い方と対応
夫を責めても改善されるわけではないし逆効果でしかないので、途中からは“できない日はできない”と少し肩の力を抜いて考えられるようになりました。逆に言えばそう思うしかないので、子どもたちにも私自身にも言い聞かせていました。
子どもの遊びたいもの、楽しい場所ばかり優先するのではなく私自身が楽しめるものや場所に連れて行きました。
外に出たくない時なんかは「今日は〇時まで“お母さん業”お休みなので寝ます。」と言ったこともありました。子どもたちは好き勝手に捨てる予定だった段ボールを引っ張り出して遊んでました。
(片付けはちょっと大変でしたけど…(‘;’))
幸いにも自宅から1時間程度の距離に母や祖父母がいるので親孝行にもなると思い何かと休みの日には連れて行って、その時間私の好きなことをしていました。特に寝てることが多かったです。
5.朝になると症状が強くなる
夫の症状は朝起きてすぐに嘔気の症状が強く出て、その後夕方近くになると落ち着いていくことが多かったのですが、正直私も仕事に行く前にその状態で見送られているためモヤモヤした気持ちになりました。

私は今から仕事なのに…!
どうしてこの時間にいつも症状が出るんだろう。
支えたいのに余裕がなくて優しくできず、そんな自分にも苦しめられました。
💡この時の向き合い方と対応
あるとき、つい「仕事に行きたくないのはみんな一緒だよ」と言ってしまい、自分でも驚きました。
後から振り返ると、夫は本当は“行きたいのに行けない”状態だったのに、言ってしまったことが申し訳なく感じました。
夫曰く“自分が迷惑をかけていることがわかるから辛い”と言っていました。
その経験から、『今は私に余裕がない』と正直に伝えるようにし、無理に優しく振る舞うのではなく、適度に距離をとることを選びました。
6.子どもが寝たあとに毎晩のように謝ってくる夫
夫は子どもたちの前では涙を見せてしまうこともあったけれど、なるべく必死に平気なふりをしていました。
だからこそ、夜になると涙が溢れてきてしまうのかもしれません。

「こんな俺でごめん…」
毎晩のように謝る夫を見ていると、こちらのメンタルがやられてしまいそうでした。
💡この時の向き合い方と対応
夫は毎日のように
「死にたい」「生きてる意味ってなんだろう」
とつぶやいていました。
家族がいるのにそう思ってしまうくらい辛いことが伝わってきましたが、その言葉を何度も聞く私も辛くなってしまったので感情移入しすぎるとよくないと感じました。
入り込みすぎず、話は聞いても同情をしすぎないようにして自分を守っていました。
全てを理解できなくても突き放さず、少しでも寄り添う姿勢でいられればいいのはないかと思います。
7.子どもたちへの説明
夫が子どもたちにうつ病とわからないようにしていたのですが、時々隠せず子どもたちの前でも涙を流している時もありました。

どうしてお父さんは泣いてるの?
夫に対し子どもたちが不思議そうな顔で見ていました。
💡この時の向き合い方と対応
当時ネットで調べていたところ、「家族の病気は、正しく伝えた方が子どもも混乱しない」と書いてあったのを見て、たしかに隠すものではないなと思い、
「お父さんは今心の風邪を引いているから、お出かけしたいと思ってもできない日があるんだ。でも、遠慮はしなくていいよ。お父さんはあなたたちが大好きだからね。」
と伝えました。そうした方が夫も隠さないといけないと思わなくて済みますし、子どもたちの“どうして?”という疑問から‟そういうものなんだ”と理解してくれていたように思います。
“仲間外れにしないこと”‟普通に接すること”を大切にしたいと思いました。
まとめ
うつ病の夫を支える日々は、気持ちが揺れ続ける毎日でした。
でも振り返ってみると、家族に“完璧な支え方”なんて必要ありませんでした。
ただ「できるときに、できるだけ」。
その積み重ねが、私たち家族を少しずつ前に進ませてくれたように思います。
同じように家族を支えている人へ。
・無理に笑顔でいなくてもいい
・全部理解しようとしなくていい
・少し距離をとって心を守ってもいい
・支援制度に頼ってもいい
どうか、自分の心を責めずにいてください。
あなたの存在が、誰かの支えになっていることを忘れないでください。

読んでいただきありがとうございます。




